『三日月の夜 25』



  明け方、まだ薄暗いうちから調査は始まった。
  ロビンとジンベエ、それにゾロの三人が海洋調査のために甲板に集まっている。
  サンジは、エースとルフィの二人のために弁当を詰めてやった。簡易の調理場で握り飯を握り、たまごやきやら焼き魚やらを用意した。今日の昼と夜の分、それに明日の朝の分ぐらいまでは何とか用意できたが、それ以降は自分たちで何とかしてもらうしかない。せめて出かける前に腹を膨らませていけよとばかりにあれもこれもと食べさせて、二人を内地へと送り出す。この島をぐるっと回ってくるつもりらしいが、山の向こう側へ行くことはないだろうとエースは言っていた。
  何の調査に出かけるのかは尋ねなかったが、それでよかったとサンジは思っている。
  甲板に顔を出すと、既にロビンがあれやこれやと男二人に指図をしていた。こちらはこちらでうまくいっているらしい。
  ロビンの手が空いた隙を見計らって何か用事はないかと声をかけると、熱いお茶と調査の合間に摘まめるようなものを用意してほしいとだけ頼まれた。
  手持無沙汰のサンジは、甲板と調理場と見張り台とを往復した。
  甲板ではロビンの細々とした用事を訊き、時々調理場におりては熱いお茶を用意する。見張り台へ上るのは、エースとルフィの兄弟が定期的に狼煙を上げて連絡を取ってくるからだ。白い煙は問題なし、緊急時には黄、危険時には赤、そして帰還時には青と決めてある。他にもいろいろと取り決めたことがあったが、とりあえずこの四種類の狼煙に気を配っておけば大丈夫なはずだ。
  途中で一度、ロビンが声をかけてきた。
  見張り台に上がって狼煙の様子を確かめている時のことだ。
「寒くない?」
  甲板から声をかけてくるロビンの髪が、びゅうびゅうと吹きつける風に踊っている。
「ああ、大丈夫だ」
  手を振って返すと、ロビンは微かに笑いかけてくる。
「もう少ししたらこっちの調査が終わるの。熱いお茶を用意しておいてくれるかしら?」
  お茶と、お茶菓子だな。サンジはすぐに理解した。
「わかった。とっておきのお茶を用意してくる」
  そう返すとサンジは、狼煙の様子をもう一度確かめてから調理場へと足を向ける。
  元々、見世の娘たちの世話をしていたから調理場に入ることに抵抗はない。調理場といっても小さな囲炉裏があるだけだ。そこで茶を淹れたり、軽く食べられるものを調理したりするだけしかできない。本格的なことをするならやはり、見世がいちばんだろう。
  先に火にかけておいた鉄瓶の湯はいい具合に熱くなっていた。用意した急須に茶葉を入れ、手早くお湯を注ぐ。菓子盆には、持ってきた饅頭と雑用の合間に蒸かした芋を載せて、甲板へと持って上がった。
  サンジが甲板に上がると、ちょうどジンベエとゾロが海から上がってきたところだった。
  ロビンがサンジを振り返った。
「あら、ちょうどいいところに」
  二人の男がたらいに入れたそれぞれの戦利品を甲板に並べるのを、ロビンは手早くスケッチしていく。
  ジンベエはケロッとしてまだ海に潜りたそうにしていたが、ゾロのほうはげんなりとした顔をしている。なかなか大変な調査だったようだ。
  予め用意してあったてぬぐいで素早く体を拭くと、二人とも着物を羽織った。
「お疲れさん」
  声をかけて湯呑みを差し出すと、ゾロがさっと湯呑みを取っていく。
「午後からは場所を変えて潜ったほうがいいだろう」
  サンジが差し出した湯呑みと菓子を手に、ジンベエは言った。
  ロビンは「そうね」とジンベエに返すと、ちらりとサンジのほうへと視線を向けてくる。
「ルフィたちの合図はどうかしら? 場所を変えても狼煙の確認ができるかどうかわかる?」
  狼煙は、定期的に打ち上げられる。エースの話ではあてもなくただ淡々とこの冬島をぐるっと回るということだった。何の意味があるのか、どんな目的があるのか、サンジは知らない。だが、強いヤツを探しに行くのだとルフィは言っていた。
  強いヤツというと、確かゾロもそんなことを言っていたような気がする。
  だが、ゾロが言っている相手とルフィたちが言っている相手はまた別のような感じもした。
  しばし考えてからサンジは、ロビンに笑みを向けた。
「大丈夫だぜ、ロビンちゃん。二人は山の向こう側に用はないと言っていた」
  だからいつ狼煙が上がったとしても、この船の見張り台に上りさえすれば、しっかりとあの二人の状況を確認することができるはずだ。
「そう。なら、船を移動させても大丈夫ね」
  そう言うとロビンは、午後からの予定をジンベエと打ち合わせ始める。
  サンジはそっとその場を離れると、腹の足しになりそうなものを用意しに調理場へと足を向けた。少し早いが昼の用意をして、三人に午後からの調査に備えてもらうつもりだった。



  定期連絡の狼煙が見えないのは、これが初めてのことだった。
  夕暮れ時が近付いて、今日最後になるはずの狼煙が見えないのだ。
  野営をするということは最初からわかっていた。
  だから、その日の移動を終えて野営の設営をしたところで狼煙を上げるようにと伝えてあったのだが、いまだに狼煙が見えてこない。
  見張り台の上でサンジは、眉間に皺を寄せて内地のほうを睨み付けている。
  暗がりの中では遠見鏡を使っても見えないことがある。内地のほうをじっと凝視したままサンジは、エースとルフィの兄弟を心配していた。他の者たちも同じだ。それぞれにあの兄弟のことを心配している。
  カタン、と音がして、甲板に人影が出てきた。
  ゾロだ。
  サンジは遠見鏡を懐に入れると、見張り台からそろそろと下りていく。
「交代だ」
  それだけ告げるとゾロは、サンジの肩をポン、と叩いて労いの言葉にかえた。
「中に戻るといい。俺の後はジンベエ、その後にロビンが見張りについてくれることになっている」
  ゾロの言葉にサンジは、ホッとした。
  それから、慌てて懐にしまい込んだ遠見鏡を取り出して、ゾロに手渡す。
「これを持って行け」
  サンジが言うと、ゾロは淡い笑みを浮かべて遠見鏡を受け取った。
「しっかり休んどけよ」
  そう言ってゾロは、サンジの頬を手の甲でするりと撫でた。夜の冷気で冷え切っていた頬に、あたたかさが戻ってくるような感じがする。
「後は頼んだぞ」
  サンジが言うと、ゾロは軽く手を振って頷いた。
  慎重に、しかし素早い動きで見張り台へと上っていくと、ゾロはたった今サンジに渡されたばかりの遠見鏡で内地のほうを確かめている。
  もう一度だけ見張り台のゾロを仰ぎ見てからサンジは、ゆっくりとした足取りで部屋へと下りていく。
  あの兄弟のことだから、ここまで心配する必要はないのかもれしれない。だが、何かがサンジの中でひっかかっていた。
  ゾロの言葉、そしてロビンの言葉が頭の中でぐるぐると回って離れない。サンジ自身も隻腕の男から逃げ出している。不安要素が多すぎて、気持ちがざわめいている。
  囲炉裏のそばで火の勢いを確かめ湯が沸いてくるのを待ってからサンジは一旦部屋へ戻った。布団を手に、調理場のある大部屋へと戻ってくる。
  ゾロには休んでおくようにと言われたが、今はそんな気分にはなれなかった。
  どうせ日の番も必要だろう。
  囲炉裏端でごろりと横になると、布団を被って目を閉じる。
  こうすれば少しでも体を休めることはできるだろう。
  目を閉じると、船底にぶつかる波の音が聞こえてくる。
  波の音を数えながらサンジはいつしか眠りに落ちていた。
  ゆらりゆらりと揺れる船の中で眠れるかどうか不安だったが、心配する必要はなかったようだ。



  夜中に二度、サンジは目を覚ました。
  見張りが交代する時間に合わせて熱い茶と軽く食べられるものを用意して、ジンベエとロビンに渡した。
  最初の見張りを終えた頃には部屋に戻るつもりをしていたゾロも面倒くさくなったのか、囲炉裏端でサンジの布団を奪って眠っている。
  ロビンを甲板に送り出したサンジは、布団の中に潜り込んだ。
  眠っているはずのゾロの腕が、自然とサンジの体を抱きしめてくる。
「狼煙は上がらねえのか?」
  サンジの耳元を、ゾロの吐息が掠めていく。
「ああ。もしかしたら、狼煙を上げるのを忘れて眠っちまったのかもしれねえな」
  サンジが言うと、ゾロは「ああ」と返してくる。
「そうかもしれない。だが、何か予定外のことが起きたのかもしれない」
  何か、とはなんだとサンジは尋ねようとしたが、次の瞬間にはゾロの鼾が聞こえてくる。
  どうやら言いたいことだけ言って、自分はさっさと眠ってしまったらしい。
「なんだ、いい加減なヤツだな……」
  ぽそりとサンジは呟いた。
  部屋の中が静まり返ると、いっそうゾロの言葉が気にかかってくる。ロビンの言葉もだ。
  この冬島へ来たのは、もしかしたら間違いだったのだろうか。
  抱きしめてくる男の喉元にかぷりと噛みつくとサンジは、ちょっとだけその皮膚に舌を這わせた。
  それから目を閉じ、もう一眠りすることにした。
  眠ればきっと、不安なんて消えてしまうだろう。
  この島に強いヤツがいるとゾロは言っていたが、人の住まないこの島に、誰かいるだなんて考えられないことだ。それをわかっているからエースとルフィの二人は内地の調査に出かけたのではなかったのか?
  それとも……人の住まないこの島に誰か居ついていることを知っていたから、わざわざ内地の調査に出かけたのだろうか、あの二人は。
  目を閉じたままあれこれ考えてると、ゾロの手がサンジの腰のあたりをするりと撫でてきた。
「余計なことは考えず、さっさと寝ちまえ」
  ドキリとした。狸寝入りをしていたのをあっさりと見抜かれていたことが、信じられなかった。
「わかってる」
  ムッとしてサンジはつい言い返してしまった。
  言ってからサンジは、ゾロの腰に自分も手を回して、股間を押し付けていく。
「明日は忙しくなるぞ」
  目を閉じたままゾロが囁いた。
  この男はいったい何を知っているのだろうかと、サンジは思った。
  そもそもこの調査隊自体が、サンジにとっては気にかかる存在だった。
  全員が何かを隠しているような、そんな印象を受ける。ゾロの言葉と態度も妙だったし、ロビンの言葉も気にかかる。ジンベエのことはよくわからなかったが、猿屋の兄弟は内地調査と言いながらもしかしたら別のことをしているのかもしれないような気がしてきた。
「いったい何を企んでいる?」
  サンジが尋ねると、ゾロの手が尻のほうへと回ってくる。
「俺は、何も企んじゃいねえ」
  サンジの双丘を揉みしだきながらゾロが呟く。その手をぎゅっと抓り上げて、サンジは目を開けた。
「じゃあ、誰が企んでいるんだ?」
  尋ねると、ゾロは目を閉じたまま微かに笑った。
「朝まで待て。狼煙が上がれば、どうするのかわかるだろう」



to be continued
(H27.8.23)



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