『三日月の夜 5』



  あの男のどこが、そんなにいいのだろうか。
  そう思うと同時に、あの男の声が耳の中に蘇る。少し掠れた低い声が、耳に心地よかったのを覚えている。あの声で自分の名を、呼んでほしいと願う自分がそこにはいた。
  相手は男なのにと思い、小さく苦笑する。
  長いこと見世をやっていると、時折、男を買いに来る者がいることもサンジは経験的に知っていた。もちろん、そういった輩の相手をしたこともある。あの男が見世に来ることはないだろうとわかっていたが、それでも願わずにはいられなかった。気紛れでもいいから見世に来て、ちらとでも声を聴かせてほしい、と。
  ふらふらと境内を歩いていくと、暗がりの中にごろつき共の顔がちらほらと見え隠れしていることにサンジは気付いた。
  このあたりでは荒くれで名を馳せる者ばかりが、いったい何があるのだろうかと思うほど何人も集まってきているようだ。
  あまりいいことでないことは雰囲気でもわかったが、どこの誰が、あんな連中を呼び寄せているのだろうかとサンジは訝しんだ。
  まず、お上ではないだろう。とすれば、この界隈で名の知られた者だろうか。誰と、誰だ?  しばらく考えながら、サンジは境内を歩いていく。考え事に集中しているため、やや足早になってしまうのはサンジの癖だ。
  しばらくそうやって考え、そこではたと気付いた。
  そろそろいい時間だ。見世に戻ろうかと今きた道を戻りかけたところで、小藪の影から男が飛び出してきた。
  不意打ちだった。
  咄嗟に半歩飛び退るとサンジは、相手の顔を確認しようとした。もしかしたら、知っている顔かもしれない。
  目の端できらりと何かが光った。刀の刃が、月の光に反射して鈍い銀色の光を放っている。
「こりゃ、まずい」
  急に、口の中が乾いてきた。
  じりじりと後退りながらサンジは、目の端々であたりの様子を窺った。正面右に二人。左脇に一人。そして斜め後ろにも、一人。
  刀を持たないサンジに勝ち目はなかった。こういう時にあの男──ゾロが、いてくれたら。
  小さく舌打ちをするとサンジは、正面をじっと見据えた。どうせなら、一人でも道連れにしてやらなければ気が済まない。右か左、どちらへ抜けようかと思案しているところへ最初の一振りが飛んできた。



  ガッ、と鈍い音がした。
  すんでの所で刀を避けると、サンジは腰を落として身構えた。最初の一撃を放った者は、刃先を木の幹に食い込ませてしまい、引き抜くのに苦心していた。その男の腹を力任せに蹴り上げると、サンジは藪の中を走り出した。
  こんなところでみすみす殺されてやるつもりなどなかった。
  もしも自分が殺されるのなら、出来ることならその時は、あの男に殺してもらいたい。あの男になら、殺されてもいいかもしれない──そんなことを思いながらサンジは藪の中を走り抜ける。
  最初に方向転換した時に人気のない方向へ飛び出してしまったのは失敗だったかもしれない。人のいるほうへ行かなければ。命が助かりたければ、何としてでも。
  ガサガサと音を立て、サンジは地面に降り積もった枯れ葉や枯れ枝を踏みしだいた。
  背後の追っ手は、何を思ってサンジを追って来ているのだろうか。どこからともなく男たちが集まってきたことに気付いたサンジをただ追うというのも奇妙なことだ。これはまるで、最初からサンジ一人を狙っていたかのような……。
「おい、こっちだ」
  不意に声が響いた。
  顔を上げると正面にゾロがいた。
  三本刀を口と両手にそれぞれ一振りずつ持ったゾロは、サンジをじっと待っている。
「伏せてろ」
  すぐ横をすり抜けざまに、ゾロに言われた。
  サンジは黙ってすぐ傍らの繁みに飛び込んだ。



  刀と刀のぶつかり合う研ぎ澄まされた音が、あたりに響いた。
  ゾロの刀捌きは力だけではないところからきている。ただ闇雲に刀を振り回すだけでは人を切ることは出来ない。切ればどうなるか、切った部位の状態、その瞬間の反応をひとつひとつ見極めて、刀を振るっている。
  傍目にはおおざっぱに刀を振り回しているだけにしか見えないが、実はそうではない。かといって計算ずくで動いているのかというとそういうわけでもなく、自然体でどうやら身体を動かしているらしい。野生の獣だなと、サンジは思う。
  繁みの中でサンジは、じっとゾロの動きを追っていた。
  神経が高ぶっているのがわかる。
  ゾロが、ではない。
  自分自身も高ぶっていた。血飛沫があたりに散るのを見て、サンジは身体の奥底が熱く滾るのが感じられた。鉄のようなにおいに吐き気を感じながらも、体温があがっていくのを止められない。
「ゾロ……」
  殺されたいと、思った。
  目の前で獣のように刀を自在に操る男の手にかかって死ぬ時には、恍惚感に浸れそうだと頭の隅でサンジは考えている。
  ふらふらとサンジが繁みの中で立ち上がった刹那、気配を感じ取ったのかゾロが叫んだ。
「馬鹿っ、出るんじゃねぇ!」



  突然、焼け付くような痛みがサンジの太腿を襲った。
  油断していた。
  すかさず回し蹴りで相手を地面に沈める。太腿がぎりぎりと痛み、ジンジンと熱かった。気がつくと足にあてた手にべったりと血がついていた。痛みはあったが、そう深い傷ではないと、頭の中で冷静に判断する。
  木の幹にもたれて待っていると、しぶとく残っていた男たちを切り捨てたゾロが刀を鞘に収めて近寄ってきた。
「阿呆か、お前は」
  そう言いながらゾロは、心配そうにサンジの足に触れてくる。
「手当が必要だな。こんなんでも止血の助けになればいいんだが」
  ぽそりと告げるとゾロは袖の中から手ぬぐいを取り出し、切り裂いた。細くなった切れ端を結び合わせるとゾロはサンジの着物をまくりあげ、傷口に布を巻いた。
  サンジはされるがままだった。口を開くと罵詈雑言がとめどなく続いたが、痛みのせいで身体の動きが鈍くなっていた。どうしても傷口を庇うような動きをしてしまう。
「どこに連れて行けばいいんだ?」
  ゾロが尋ねた。
「見世に……」
  そう返したサンジを背負い、ゾロはその場を離れた。



to be continued
(H16.11.23)



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