『三日月の夜 4』
目の前に、男が立っていた。
長身の自分と同じ目線のその男は一瞬、少し驚いたような顔をした。それからにやりと口の端を歪ませて、二人に笑いかけてくる。
「よお」
この男でも動揺することがあるのだなと、サンジは頭の隅で考えた。
緑色の短髪の用心棒は、サンジの隣にいるナミに向かって親しげな口調で挨拶をした。
「いやだ。なんでアンタがこんなところにいるのよ」
非難めいたナミの言葉に男はムッとしたようだった。ぷい、とそっぽを向くと、口の中で何やらもごもごと呟いている。
「ナミさん、こいつと知り合い?」
サンジが尋ねかけると、ナミは頷いて悪戯っぽく笑い返した。
「そう。幼馴染みなの。何年か前に家を飛び出したっきり帰ってこない、って話を聞いていたけれど、まさかこんなところで出会うなんて思いもしなかったわ」
そう言ってナミは、サンジの腕からするりと離れていく。迷いのないまっすぐな蜜柑色の瞳は、緑髪の男だけを映していた。
「ね、ゾロ。少し、一緒に歩かない?」
軽くなったサンジの腕が、少し寂しかった。しかしナミは、用心棒と一緒に祭りを楽しみたいのだろう。今の今まで一緒に歩いていたサンジのことなど忘れてしまったかのように、この緑髪の男だけを見つめている。
「悪いな」
男はそう言うと、自分の腕に回ったナミの手をそっと外す。
「俺は、もう昔の俺じゃないんだ。お前とは、随分と遠く離れてしまった」
そう言って、男はくるりと背を向けた。がっしりとした大きな背中は、まるでナミを拒絶しているかのようだ。
「お前は、お前の道を行け」
背を向けたまま、男が言う。
「イヤよ」
負けじとナミは返した。
「あたしはアンタのこと、ずっと好きだったの。アンタがあちこちで喧嘩をしてばかりいる時も、村はずれの道場のお嬢さんに憧れていた時も、ずっとずっと、アンタだけを見ていたの。もうそろそろあたしの気持ちに気付いてくれてもいいんじゃないの、ゾロ」
悲鳴のようなナミの声に、サンジの身体は凍り付いてしまったかのようだった。一歩たりとも動くことが出来ない。
泣いているのかとナミのほうを窺うと、そうではなかった。怒っているのだ。いつになっても自分のほうを見てくれない緑髪の男──ゾロに対して、やり場のない憤りを感じているのだ。
「馬鹿っ!」
ぎりぎりと男の耳を引っ張って、ナミは大声で罵った。
「アンタみたいなどうしようもない男、こっちから願い下げよ!」
そうは言うものの。
きっと、彼女なりにあの男のことを想っているのだろうことを、ぼんやりとだがサンジは感じていた。
気まずいままに三人はその場に立ち尽くしていた。
凍り付いてしまったような時間を先へと進めたのは、ナミだった。ゾロの頬を力任せにひっぱたくと、振り返ることもなく境内の向こうへ行ってしまう。引き留めようとサンジが我に返った時には、既に人波の向こうに飲み込まれた後のことだった。
「ナミさん……」
いつまでも人波の向こうを恨めしそうに眺めていると、男がポン、とサンジの肩に手を乗せてきた。
「気にするな。あいつの我が儘は今に始まったことじゃない」
まるで他人事のように男は言う。
ムッとした表情でサンジは、男を見遣った。
「てめぇ……」
口を開こうとしたところで、男に軽く遮られた。
「ゾロ、だ」
にやりと、ふてぶてしい笑みを浮かべて男は告げた。
「ロロノア・ゾロってんだ。覚えておけ」
夕方、日が暮れてしまっても境内は賑やかだった。
木の枝枝に渡された提灯のあかりがあたりをほの赤く染め上げ、行き交う人々の熱気が興奮となって伝染していく。
結局、縁日の日を一人で過ごすことになったサンジだったが、それなりに一日を楽しんだように思う。
ナミと縁日を回ることが出来なかったのは残念だった。
が、収穫はあった。
あの男……猿屋の雇われ用心棒の名を知ることができた。それを考えると何故だかサンジの口元はだらしなく緩んできて、自然と笑みが零れてしまう。
男の名前など知ったところで何一ついいことはないだろうに、何故だろう。
肩に手を乗せられた時、ドキリとサンジの心臓がひとつ、密やかに脈打ったのを覚えている。
こんなにもあの男のことが気になるのは、どうしてだろう──
to be continued
(H16.11.8)
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