『三日月の夜 23』



  猿屋の若い二人が動き出したのは、それからしばらく経ってからのことだった。
  聞けば、冬になって海が凍り付く前に、沖向かいの冬島の様子を見に行くと言うのだ。
  無茶だと思った。夏のうち、せめて晩秋に入る前だったならともかく、目の前に冬が迫ってきている今、この時に沖向かいの島へ出かけるのはあまり褒められた行為ではないように思われた。
「どうしても行くのか」
  閨の中で尋ねると、ゾロは口の端を吊り上げ、ニヤリと笑う。
「誘われているからな」
  食客と言いながらもゾロは、猿屋の若い二人から一目置かれているようなところがあった。それほどまでに剣の腕を買われているのだろうか? それとも、もっと何か別の理由があってのことなのだろうか。
  眉をひそめるだけにとどめたサンジは、俯せた姿勢のままで煙草を手にする。寝煙草をやめるように何度も注意してきたのはナミだ。あのきつい語調すら、今は懐かしく思えてくる。
「向こうにはどれくらいいるんだ?」
  離れている時間があれば、それを寂しいと思うようになったのは、自分がこの男を想っているからだろうか。何気なく男のほうへと視線を向けると、暗がりの中で男は小難しい顔をしている。
  そんなに長期に渡って滞在するのだろうか。冬も間近だというのに、どうやって過ごすのだろう。寒くはないのだろうか? そんな状態で、島の様子を見ることなどできるのだろうか。
「……三日だ。三日で調査をして、引き上げてくる。何とかって偉い学者が同行するらしい。あとは……確か、島の周囲の波の調査をするとかって言ってたっけな」
  なんでも、沖向かいの島に宝探しに行くんだ、って──不意に、ウソップが話していた言葉がサンジの耳の中に蘇ってくる。あれは、本当のことだったのかもしれない。もしかすると猿屋の二人は、本気で宝探しをするつもりでいるのかもしれない。
「なんだ、短いな」
  小さく息を吐き出して、サンジは返した。
  本音を言うと、安心していた。
  三日程度なら、あの隻腕の男から逃げようと思えば逃げられるだろう。大丈夫だ、心配ない。たかだか三日、ゾロが留守にするくらいのことで戸惑っていてどうするのだ。



  翌日、サンジはゾロと共に猿屋へ招かれていた。
  宝探しのことだろうかと思っていたら、やはりそうだった。
  広間に集められた顔ぶれは、知った者もいれば初めて見る者もいる。共通していることと言えば、猿屋に声をかけられて集まった者だということぐらいだろうか。場違いなところに来てしまったという思いばかりが大きくて、サンジには居心地の悪い場所だった。
「まあ、そうかしこまんなくていいからよ」
  上座のエースがゆったりと口を開くと、その声は思っていたよりも大きく響いた。
  人のよさそうな穏やかな表情をしているが、目が、油断ならないとサンジは思う。猿屋を支える二本柱の一の柱を名乗るだけあって、堂々としている。人を従わせる力もある。ゆくゆくはこの男が猿屋の主人となるのだろうが、これなら猿屋も安泰だろう。
「既に噂で聞いているだろうが……明日から沖向かいの冬島へ、調査に行く。ここから島までの海流と、島の内地の調査だ。島に入れば三日は向こうで過ごすことになる。あっちにゃ、人は住んでいない、って言うから、未開の地で過ごすのが嫌なら今すぐ帰ってくれ。行きたい奴だけ、残ればいい」
  どうだ? とエースが集まった人々の顔を順繰りに見回していくと、集まった何人もの人間ががボソボソと何やら言い訳めいた言葉を呟きだす。ひとしきりざわざわとし終えれば、広間には五本の指で数えられるほどの人間しか残らなかった。
  集まった者の大半はおそらく、もっと安易においしい話にありつくことができると思い込んでいたのだろう。
  残ったのは、妖艶な瞳にしっとりとした黒髪の女と、がっしりとした体躯の青い肌の男、それにゾロとサンジ。それだけだ。とは言え、サンジが今回の調査に同行させてもらえるかどうかは怪しいところだ。何しろ何の目的もなく、ただ気まぐれにこの調査に参加しようとしているのだから。それとも、自分も他の連中と同じように黙ってここから立ち去ればよかっただろうか。
  ふん、と鼻を鳴らすとサンジは、面白くもなさそうに傍らのゾロへと視線を向ける。
「心配するな」
  ぽそりとゾロが声をかけてくる。
「馬鹿、心配なんて」
  ムッとして言い返すサンジの声が、ガランとした広間にやけに大きく響いた。慌てて口をつぐんだものの、すぐ近くにいた黒髪の女がクスリと笑う。
「冬島に渡るのは初めて?」
  ゾロが怪訝そうに眉をひそめる。知り合いか? と眼差しで問えば、彼はますます眉間の皺を深くするばかりだ。
「俺は初めてです。姐さんは慣れてそうですね」
  愛想笑いを浮かべてサンジが声をかけると、女は「私は今度の調査で四回目よ」と返してくる。
  そんなに頻繁に調査をしていたのかと、こっそりとサンジは思う。行き当たりばったりに頭数を揃えて、面白半分に島へ渡っていたわけではなかったのだ。
「私と…そこの親分さんは、三回とも同行したわ。後は、その時々でいろんな人が参加しているけれど、おそらくこの調査が最後になると思うわ」
  そして、この次があるとすればそれが、本当の意味での宝探しになるだろうとも、彼女は言った。
  宝とは、何か。
  何度も調査を経てようやく探し始めることができるようなものなのだろうか。
「……えらく大掛かりなんだな」
  こんな話は聞いてないぞと、ちらりとゾロを見遣る。
「強い奴がいるところになら、俺はいつだって行くぞ」
  腰帯に差した刀を視線でわずかに示し、ゾロは笑う。
「冬島には俺よりも強い剣士がいると聞いたんでな」
  その目に、笑みに、ゾクリとサンジの体が震えた。
  背筋をつーっ、と伝い降りていくのは、冷や汗だ。
  こいつ、こんな危ない顔をすることがあるんだな。そう思うと、今回の調査に参加する自分が、弱くて足手まといになりそうな気がしてくる。
「ま、そう心配するな、って」
  バン、とサンジの背中を叩いて、ゾロはカラカラと豪快に笑った。
  その瞬間、猿屋の広間に上がってから感じていたサンジの緊張が呆気なく解けた。



  隻腕の男から逃げるために、サンジはゾロと共に猿屋の冬島調査に参加することにした。
  それとも逆効果になるだろうか。
  隻腕の男は、二度と猿屋には関わるなと言っていた。しかし調査に参加すると、隻腕の男の言葉に逆らうことになってしまう。
  報復はどの段階でなされるのだろうか。
  見世や、見世に関わる人たちの安全をはかることはできるだろうか。自分一人だけでなく、周囲の人たちの安全を。でなければ、ゾロと一緒にいる意義がなくなってしまう。
  自分一人だけが幸せになりたいわけではない。見世も大事だし、見世に関わる娘たちや、ウソップとカヤ、それにチョッパーも大切だ。誰一人、怪我などさせたくないし、自分のことに巻き込みたくない。
  こんな形で逃げ出すような真似をすることに、ほんの少しサンジは苛立ちを感じていた。いや、そうではない。自分に対する憤りだろうか? 何の力もなく、大切に思う場所や人たちを守ることのできない、不甲斐なさや無力さを感じているのは間違いない。
  ……そうだ。自分には力がない。そこそこ喧嘩の腕っ節も強いサンジだったが、隻腕の男にはまったくと言っていいほど歯が立たなかった。ゾロにも多分、敵わないだろう。猿屋の広間にいた人間の中ではおそらく、サンジがいちばん弱いだろう。
  謙遜などではない。長年の喧嘩の勘とでも言うのだろうか。サンジにははっきりとわかる。自分は弱いのだということが。
  それでも、ゾロのそばにいたかった。
  大切な人たちや大切な場所、自らの生活を犠牲にしてでも、ゾロと一緒にいたい。
  こんな自分はおかしいのだろうかとサンジは思う。
  男が男に現を抜かし、いつまでも一緒にいたいと思う。離れたくない、と。
  何もかもすべてを犠牲にしたその先にある未来は、後悔と自らに対する腹立たしさとでいっぱいの日々ではないだろうか。
  無理をして手にいれたところで、幸せになれるという保証はない。
  今ならまだ引き返すことができる。
  ゾロと別れてしまえば、元の生活が戻ってくるだけだ。
  これまでどおりの自堕落でいい加減な日常に嵌まり込んで、安穏と日々を過ごすことになるだろう。
  自分はいったい、どちらの未来を望んでいるのだろうか。
  明日の早朝、日の出前には港に集合することになっていたが、サンジはなかなか寝付くことができないでいた。
  布団にくるまり、ごろりと寝返りを打つ。
  煙草が吸いたかったが、ゾロがすぐそばで眠っている。今は男の眠りを妨げたくはなかったため、サンジは仕方ないと諦めた。
  はぁ、と溜息をついて薄暗い天井を見上げていると、ゾロがもそりと動く気配がする。
「眠れねえのか?」
  低く、穏やかな男の声に、サンジは小さく笑った。
「ああ、そうだ」
  緊張しているのか、それとも興奮しているのか。
  どちらともつかない感情に、サンジは投げやりなものを感じた。
  手を伸ばして、布団の中でゾロの手を探り当てる。指先で男の指を握ったら、ぎゅっ、と握り返された。
「心配事は、今はここに置いて行け。戻った時に考えればいいだろう」
  指先に力を込めることでサンジは、返事にかえた。



to be continued
(H24.11.22)



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