『三日月の夜 2』



  置屋の朝は遅い。
  サンジは置屋の娘たちの世話を一手に引き受けていた。
  娘たちの着付けもするし、簪や小物などを選んでやることもあった。ごく稀にだが用心棒の真似事をすることもあった。もちろん、娘たちの食事の世話もサンジの仕事だった。養父は川向こうの母屋で別の置屋を持っていた。ここと併せて三カ所の置屋を取り仕切っており、この界隈ではかなり名を知られていた。
  秋祭りはもうすぐそこまで近づいてきていた。
  時折、笛の音や爆竹の音が境内から聞こえてくるようになると、どこからやってきたのか、屋台を組んで露店を出す者の数が増えてくる。境内から少し離れた空き地に巡行の芝居小屋が立つと、空気の中に秋のにおいが濃厚に混ざりだす。
  サンジは、秋祭りにはやはりナミを誘おうと改めて決心していた。他の娘にも心惹かれるものはあるのだが、ナミほど魅力ある娘はいなかった。それに、若旦那であるサンジに媚びを売ろうとしないのは彼女だけだ。他の娘たちは、あれは駄目だ。見世を切り盛りするサンジに少しでも気に入られていい目を見ようと必死になって、哀れとしか言いようがない。娘たちの醜態はしかし、ある種の美しさすら呼び起こす類のものだった。
  サンジは娘たちを平等に大事にしていたし、どの娘も同じように扱っていた。
  娘たちの住む世界の裏側を垣間見ることでサンジは、彼女たちの生き様をありありと感じ取ることができたのだ。



  ある肌寒い秋の早朝のこと。
  見世の娘たちが仕事を終えて一眠りするために部屋に戻るのを見届けたサンジは、足音を殺して表へ出た。
  その日は夜中を少し過ぎた頃から何やら騒々しく、河原のほうからは爆竹の音がさかんに響いていた。妙に思って河原のほうへと足を向けたサンジだったが、しばらくしてそれが爆竹の音ではないことに気付いた。
  爆竹だと思っていた音は、銃声だった。
  隣村へと続く街道沿いの小道から藪の中を通っていくと、薄暗がりの中、頭から血を流して男が倒れているのが見えた。
  まずいと思って来た道を戻ろうとくるりと向きをかえたところで、ばったりと人と出会ってしまった。
「うわっ……」
  驚いたサンジは反射的に数歩後ずさった。
「お前……大鷹組の者じゃァねぇな」
  唸るような声で、男が言った。
  あの時の男だった。いつだったか、境内でごろつき共と一戦交えていた猿屋の雇われ用心棒。緑色の短髪をした、眼光鋭い大男。
  細身のサンジもかなりの長身だったが、目の前のこの男もサンジと同じぐらいの背丈をしていた。加えてがっしりとした筋肉質な身体。随分と鍛えているだろうことは一目見ただけででわかった。
「大鷹組? 馬鹿言うな。俺は、置屋の主人だ」
  ムッとしてサンジが返すと、男は鋭い目をさらに細めて、ぎろりと睨み付けてくる。
「馬鹿野郎、置屋の主人がうろちょろしてるんじゃねぇ! 殺されたいのか?」
  今にも掴みかからんばかりの勢いで、男はそう言った。
「今すぐに帰れ。今ならまだ、間に合う」



  朝靄に包まれた獣道を、サンジは極力足音を立てないように気を付けて歩いていく。
  背後の雇われ用心棒はガサガサと藪をつつきながら後をついてきている。サンジにしてみれば、この男に見張られているような気がして落ち着かない。それに、この男が足音を立てて歩くのも気に食わない。用心棒なら気配を消して歩くことぐらい造作もないことだろうに、何故この男は自分の存在を周囲に知らせるようなことをして歩くのだろうか。河原から離れようと言ったのは、この男のほうだ。てっきり、サンジが無事に見世に辿り着けるように送ってくれるのかと思っていたのだが、どうやら目的は別にあるようだ。
  途中で男を撒いて逃げようかとサンジがこっそり考えていると、林の向こうのほうで銃声が響いた。
  パン、パン、と乾いた音がして、それと同時に用心棒の眼差しが鋭くなる。
  ドキリとした。
  この目だと、何故だかサンジはそんなことを思ってしまった。
  用心棒の目が剣呑に眇められ、一瞬、光の当たり具合で深い緑色に見えた瞳が黒とも血の紅ともつかない色になった。
  綺麗だと、思った。
  人を惹きつける眼差しだ。あの眼に射竦められたいと思わずにはいられない。
  思わずサンジは、男のほうへと手をさしのべていた。
  触れたかった。逞しい身体と流れるようになめらかな動きの筋肉に。
  手を伸ばし、あと少しで触れることが叶うというところで、再び銃声が響いた。



  気がつくと、サンジは藪の中に伏せていた。
  用心棒の力強い手が、サンジの頭をぐいぐいと地面に押しつけてくる。筋肉質な厚い胸板に肩口をがっちりと押さえ込まれ、サンジは朝露に湿る草の中に顔から突っ込んでしまった。
「じっとしてろよ」
  押し殺した声が耳元でしたかと思うと、男の微かな汗のにおいが鼻をつく。
「おい、どこに……」
  言いかけたサンジはふと気付いて、口を閉ざした。
  聞いたからといって、どうなるわけでもない。雇われとはいえ、男は用心棒なのだ。嫌だろうが何だろうが、雇われている以上は自分の仕事をしなければならない。今がその時だった。
「じっとしてろ」
  もう一度だけそう言うと、振り返りもせずに男は藪の中を移動していく。サンジから充分に離れると、河原へ降りる小道を駆け下り、飛び出していった。
  馬鹿なやつだとサンジは思った。
  鉄砲を持った輩を相手にどうしようというのだろうか。片や飛び道具を手にした男たち。片や、三振りの刀を帯刀に差した男ひとり。
  無理だと思った。用心棒が銃声に倒れ、血にまみれて死んでいく姿がふっと脳裏を横切った。悔しかった。女性に対して抱くような気持ちをサンジは、ほとんど初対面に近いこの男に対しても抱いてしまっていた。あの目。あの、眼差し。男の鋭い眼光が、ある種の色香を放っていた。触れたいとも思った。あの腕に抱かれ、思う存分蹂躙されたいと思った。それなのにこの男は、銃弾の中に飛び込んでいく。馬鹿だ、この男は。自ら死と呼ばれる暗くて寒々しい世界へと入り込もうとしているのだ。
  男には生きていて欲しかった。
  生きて、あの鋭い眼差しでじっと見据えて欲しい。
  サンジがそう願うほど、男の瞳は妖しい魔力を秘めていた。



to be continued
(H16.9.27)



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