『三日月の夜 3』



  男の雄叫びが上がった。
  草むらの中でサンジは息を潜め、じっと動かない。
  理由の半分は、男が「じっとしてろ」と言ったからだ。もう半分は、丸腰で飛び道具を持った相手に勝てるかどうかわからなかったからだ。こんなところで無駄死にをするつもりは、サンジにはさらさらなかった。
  じっとしていると、男の声と、銃声がやけに耳に大きく聞こえた。時折、キン、と甲高い音が響いてくる。刀がぶつかり合う音よりも細くて鋭い音だ。いったい何の音だろうかと思いながらもサンジは、男に言われたとおり、その場に伏せていた。
  ようやく夜が明けてあたりが明るくなってくると、河原のあたりも静かになったようだ。銃声も、雄叫びもなくなり、今はただ、川をゆったりと流れる水の音と鳥のさえずりが聞こえてくるばかりだった。
  そろそろと頭を上げ、サンジは繁の影から河原を覗き窺った。
  風に乗って、血のにおいが流れてくる。
  倒れているのは、どこの組の者だろうか。いかつい体躯の猛者たちが血まみれで、あちこちに倒れている。生きている者もいるようで、苦しそうに呻き声をあげる者、身体を小刻みに痙攣させる者など様々だ。
  あの男はどうしただろうかと、サンジはぐるりとあたりを見回した。
  緑色の短髪は、よく目立つはずだ。倒れていたらすぐにわかるだろう。目を凝らして必死に男を捜していると、ポン、と肩を叩かれた。
「おい、誰を捜してんだ?」



  心臓が飛び出しそうなほど驚いた。
  喉の奥まで出かかった声をむりやり飲み込むと、サンジはくるりと振り返る。
「てめっ……」
  生きていた。
  男は、特に大きな傷もないようで、にやにやと口元にいやらしい笑みを浮かべて立っていた。
「あれしきの連中を相手にどうにかなるようじゃ、用心棒は務まらんからな」
  そう言って男は、顎が外れそうな大きなあくびをひとつ、した。
  あまりのふてぶてしさに、むかっ腹が立った。どうしてやろうか、ひとつ蹴りでも入れてやろうかと思案していると、ふと男の脇腹の汚れに目が止まった。一見したところ泥の汚れのようにも見えるが、そうではないだろう。黒い染みのように浮き上がるのは、まぎれもなく血の色だ。
「おい……怪我、してるんじゃねぇのか?」
  尋ねると、男はかぶりを振った。
「気のせいだろう」
  それきり、サンジには何も言わせないような頑なな空気が二人の間に目には見えない一線を引いてしまった。
「帰るぞ、送ってやる」
  単調な男の声に、サンジはただただ頷くことしかできなかった。



  縁日の朝は日が昇る前から賑やかだった。
  見世の娘たちも朝食の時からそわそわと落ち着きがなく、仕方なくサンジは交代で娘たちに休みをやることにした。
  どの娘も自分にいちばん似合う着物を着て、いつもよりきつめの化粧を施し、気に入りの紅をさしている。
「ナミさん、よかったら俺と一緒に境内までどうですか?」
  簪にしようか櫛にしようかと考えながらサンジが尋ねると、ナミは二つ返事で支度にかかった。
  ピンと背筋を伸ばして歩くナミの姿は人目を引いた。濃紺の生地に紅葉の柄の着物姿のナミは、サンジの目には誰よりも艶やかに映った。
  二人でのんびりと歩いていると、まるで夫婦のように見えないでもない。道の両端にずらりと並んだ露店からは、威勢のいい物売りの声が響いてくる。
「ああ、やっぱり」
  不意に小さく呟いて、ナミがサンジの腕にしがみついてきた。
「ね、サンジくん。こんなに人が多くて賑やかだと……なんだかウキウキしてこない?」
  嬉しそうなナミの顔が、サンジのすぐ近くにある。腕に押しつけられた胸の膨らみが心地よい。
「ナミさん……」
  お天道様のようにキラキラと光る蜜柑色のナミの髪を直してやろうと、サンジは指を伸ばす。こんなに至近距離でナミに触れることは滅多にない。ナミとは、サンジが養父から暖簾分けしてもらった見世の主人になった時からの付き合いだったが、浮ついた仲になったことは一度としてなかった。サンジとしてはいい仲になりたいと常々思っていたのだが、何故だかナミがそれを許さなかった。別段、嫌われているというわけではないようだったが、特に親しくなりたいというわけでもないようなのだ。
  そのナミが、サンジの腕にしがみつくようにしてつかまり、隣を歩いている。
  まるで夢のようだと、ぼんやりとサンジは考えた。
  ほんのりと鼻をくすぐる化粧の匂いに、サンジの頬は始終緩みっぱなしだった。



to be continued
(H16.10.20)



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